冬のお遍路2日目は、卯之町を早朝に出発し、鳥坂峠を越えて大洲市街地へ。別格8番十夜ヶ橋を参拝し、古い町並みが残る内子を経て、大瀬まで歩きました。夜は東屋で野宿しましたが、厳しい寒さで眠れず、深夜3時に再び歩き始めることになりました。
行程表
- 5:30出発
- 卯之町
- 鳥坂峠
- 札掛休憩所
- 大洲市街地
- 別格8番 十夜ヶ橋
- 内子
- 17:00大瀬
野宿

朝の準備
12月27日、晴れ。冬のお遍路2日目、全体では23日目となる。
昨日は宇和島から41番龍光寺、42番仏木寺、43番明石寺を参拝し、卯之町のビジネスホテルに宿泊した。次の目的地である44番大寶寺までは、明石寺から約70kmもある。これまでの自分のペースを考えると、2日間で行けると想定した。
今日はできるだけ距離を稼ぎたい。宿泊地はあらかじめ決めず、その日の歩くペースを見ながら判断することにした。
朝は5時前に起床。身支度を済ませ、5時30分にホテルを出発した。外はまだ真っ暗だった。

冬遍路の注意点
冬のお遍路は日が短く、暗い時間帯に歩かなければならないこともある。できるだけ明るい時間に歩くのが理想だが、やむを得ず暗い道を歩く場合は、安全対策が欠かせない。
私もウエストポーチやバックパック、靴は蛍光素材の入ったものを選んでいた。出会ったお遍路さんの中には、金剛杖に蛍光バンドを巻き付けている人もいた。車から見えやすくするための工夫として、参考になる方法だと思う。
日の出前の空気は冷たく、体の芯まで冷えそうだった。軍手とネックウォーマーを身につけ、できる限りの防寒対策をして歩き始めた。
卯之町から鳥坂峠へ
まず目指すのは大洲市街地。卯之町から約20kmの道のりだ。
大洲市街地は、湾曲する肱川に沿って広がる風光明媚な城下町。標高は約20mで、卯之町よりも低い。大洲に着く頃には日も昇り、少しは歩きやすくなっているだろう。そんなことを考えながら、北へ向かって歩いた。
大洲市街地までは、まず国道56号線を約10km進む。しばらく一本道が続くため、道に迷う心配は少ない。日の出前の暗い道では道しるべも見つけにくいが、単純なルートだったのは幸いだった。
鳥坂峠と鳥坂トンネル、どちらを通る?
国道を10kmほど進むと、鳥坂トンネルにたどり着く。
ここでは、鳥坂トンネルを通るルートと、鳥坂峠を越える遍路道の2つの選択肢がある。
鳥坂トンネルは全長約1.2km。歩道が狭いため、交通量が多い時間帯は特に注意が必要だ。一方、鳥坂峠の遍路道は山を越える必要があるものの、車を気にせず歩けるという利点がある。
私はまだ周囲が薄暗く、鳥坂峠への案内板を見つけられなかったため、鳥坂トンネルを通ることにした。早朝で交通量が少なかったこともあり、幸い大きな問題はなかった。
西予市から大洲市へ
トンネルを抜けると、景色が一変した。視界が開け、遠くの山々まで見渡せる。辺りも少しずつ明るくなり、夜が明けていくのが分かった。
それでも、寒さは厳しい。早朝の山あいでは、車道沿いの芝生が凍り付いていた。放射冷却の影響だろうか。空気は澄み切っていて、遠くの山々が透き通るように見えたのが印象的だった。


鳥坂トンネルは、西予市と大洲市の境にあたる。ここから大洲市街地までは約10km。緩やかな下り坂が続き、歩くにつれて標高が下がっていく。日が昇るにつれて、少しずつ気温が上がっていくのも感じられた。
札掛休憩所でひと休み
時刻は9時。国道沿いに札掛休憩所を見つけ、トイレ休憩を取ることにした。
広めの駐車場には屋根付きの小屋が設置されている。雨風をしのげる場所があるのは、歩き遍路にとってありがたい。季節や状況によっては、野宿場所の候補にもなりそうな休憩所だった。

歴史と自然を感じる大洲の町を歩く
休憩所から10分ほど下ると、右手に橋が見えてきた。案内板は橋を渡る方向を示している。ここは国道56号線をそのまま進まず、遍路道に沿って橋を渡るのが正解だ。見落としやすい場所なので、注意したい。
橋の先には肱川が広がっていた。朝日に照らされた川面には周囲の山々が映り込み、まるで鏡のようだ。思わず足を止めて眺めたくなる、美しい景色だった。


大洲城
川を渡った先の丘には、大洲城が見える。肱川の流れと山々に囲まれたこの町は、江戸時代に城下町として発展した歴史を持つ。今も昔ながらの町並みや歴史的な建物が残り、城下町らしい風情を感じられる。

大洲市街地へ
肱川を渡ると、再び国道56号線に合流し、大洲市街地へと入っていく。
市街地に近づくにつれて、車の交通量が増え、飲食店なども目立つようになった。明石寺から長い距離を歩いてきたお遍路さんにとって、食事や買い物をするのに便利な休憩地点だ。
別格霊場8番 十夜ヶ橋を参拝
時刻は12時。大洲市街地にある四国別格二十霊場第8番札所、十夜ヶ橋を参拝した。
十夜ヶ橋は、お遍路にゆかりの深い場所として知られている。
弘法大師・空海が修行の旅の途中でこの地を訪れた際、宿泊できる場所が見つからず、空腹のまま橋の下で一夜を過ごしたと伝えられている。
その夜は寒さが厳しく、一夜が十夜にも感じられるほど長かったことから、「十夜ヶ橋」と呼ばれるようになったという。
十夜ヶ橋は、43番明石寺と44番大寶寺の間に位置する霊場だ。国道56号線沿いにあるため、歩き遍路でも立ち寄りやすい。

十夜ヶ橋では通夜堂も利用できる
十夜ヶ橋には、遍路旅の途中で休める通夜堂もある。
私も2回目の歩き遍路で利用したことがある。コンテナタイプのしっかりした造りで、広さは5畳ほど。私のほかに外国人のご夫婦も利用していたが、3人でも余裕を持って過ごせたことを覚えている。
歩き遍路では、こうした休める場所があるだけでも心強い。
お遍路さんは橋の上で杖をつかない
十夜ヶ橋には、今も弘法大師が橋の下で休んでいるという言い伝えがある。そのため、お遍路さんは橋の上では金剛杖をつかず、静かに渡る習わしがある。
橋の下にはお堂があり、横になった弘法大師像に小さな布団が掛けられている。まるで弘法大師が今もそこで休んでいるかのような光景は、ほかではなかなか見られない印象的なものだった。


十夜ヶ橋で不思議な体験をした
橋の下にある弘法大師像の前で手を合わせ、目を閉じた。
すると突然、弘法大師が橋の下で休んでいた光景が頭に浮かんだ。
周囲には草木が生い茂り、小さな川に素朴な橋が架かっている。そんな風景が、まるで目の前に広がっているように感じられた。
もしかすると、1200年前のこの場所の光景だろうか。
その光景に浸りたくて、しばらく目を閉じたまま過ごした。うまく説明できないが、今でもはっきりと覚えている不思議な体験だった。
大洲から内子へ
大洲市街地の次に目指すのは内子。大洲から約10km北に位置する町だ。
国道56号線を進み、山あいの道を歩いていく。案内板に従って進むと、内子の西側から町へ入ることになる。
内子運動公園の脇を通り、小高い丘に差しかかると、内子の町並みを見下ろすことができた。
内子は、江戸時代から明治時代にかけて木蝋の生産で栄えた町だ。白壁や格子窓が特徴的な古い建物が並び、当時の暮らしや歴史を今に伝えている。お遍路さんだけでなく、多くの観光客が訪れる場所でもある。
町の北側には道の駅内子がある。ここから先は大寶寺に向けて山道が続くため、食料や飲み物など、不足しているものがあれば、このあたりで準備しておきたい。
内子から先へ進むか、宿泊するか
時刻は15時。そろそろ、今夜の宿泊場所を決めたい時間になってきた。
地図を広げて現在地を確認すると、内子から大寶寺までは約34km。明石寺から大寶寺までの道のりも、ちょうど中間地点まで来たことになる。
しかも、ここから先は険しい山道が続く。
内子周辺で宿泊するか、それとも少しでも距離を稼ぐために先へ進むか。迷うところだった。
ただ、今回は野宿できる装備を持ってきている。まだ歩けそうだったので、先へ進むことにした。
内子からは国道56号線を経て、国道379号線へと進む。小田川に沿った谷間の道は、上流に向かって緩やかな上り坂が続いていた。
内子を離れると、景色は次第に山深くなっていく。市街地のにぎわいは遠ざかり、周囲はすっかり山の中へと変わった。
国道沿いのバス停で休憩
途中、バス停を見つけて少し休憩した。遍路道では、小屋のような造りのバス停を見かけることがある。雨風をしのげるため、悪天候のときにはありがたい存在だ。

大瀬で野宿
内子から2時間ほど歩いたところで、大きな東屋を見つけた。
時刻は17時。山あいはすでに薄暗くなり始めている。日が暮れれば、辺りはすぐに真っ暗になるだろう。
少し迷ったものの、今日はここで野宿することにした。さっそくテントを設営し、寝る準備を整えた。

冬の野宿と深夜の歩行
ところが、日が完全に暮れると、気温はどんどん下がっていった。
とにかく寒い。
テントの中に入っても、外とほとんど変わらない寒さだった。断熱シートを敷き、寝袋に入ってみたものの、まったく暖かくならない。
ダウンジャケットやインナーシャツなど、着られるものはすべて着込んだ。さらに、寝袋の上にレインコートを掛けてみたが、それでも寒さは変わらなかった。
体を休めなければ明日に響く。そう思って目を閉じるものの、寒さでまったく眠れない。
時計を何度も確認した。21時、22時、23時……。
そんなとき、ふと昼間に参拝した十夜ヶ橋のことが頭に浮かんだ。
弘法大師も、橋の下で一夜を過ごしたときには、こんな寒さを感じていたのだろうか。
時刻は深夜3時。とうとう寒さに耐えられなくなった。
どうせ眠れないのなら、歩いて体を温めよう。
そう決めてテントを片付け、再び歩き始めることにした。
昨日の昼に買っておいたおにぎりを頬張ると、寒さで米粒が硬くなっていた。
こうして、冬のお遍路2日目の夜は、思いがけず深夜の歩行へと続いていった。




コメント